講師: 笹本 正治 (信州大学人文学部教授)
場所: 環境総合館1階 レクチャーホール
日時: 2004年12月8日(水)17:30-19:00
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セミナーに参加しての感想
今回の講演で印象的だったのは、大地に手を入れること=開発が災害を導くと いうこと、そして先人はその知識を様々伝承の形で残しているということであっ た。講演の始めに南木曾に伝わる「蛇抜の伝説」という説話がが紹介された。 始めは子どものころに親しんだような昔話の類かと思って聞いていたら、講演 の視点は「これが実際に起きたことか」という点に移り、これは実際に天保15 年(1844年)に起きた土石流(=蛇抜)に関する伝承である、ということであっ た。この話で出てくる貴族とは尾張の役人であり、城を築くための木を南木曾 で伐採し、山が荒れたことによって起きた災害であることを伝えたものであっ た。「蛇抜」とは、谷を流れ下る土石流を白い蛇に例えたものである。この話 で特に印象的なのは、地元の人々は木を切ることで災害が起きることに気づい ていながら、木の伐採をさせた貴族はそれをやめさせなかったこと、すなわち 土石流は貴族によって起こされた、いわば人災であり、また災害を起こす側と 受ける側とが異なるという点である。
このような災害の爪跡は実は地名にも残されており、南木曾の例でいえば、 「じゃぬけ(蛇抜)」、「なぎ(薙、椰野)」、「くずれ」、「がれ」、「下 り谷」、もしくはこれらのなまったものがある。縮尺の大きい地図を眺めてい ると、所々に不思議な地名があるが、これらのいくつかも災害の痕跡を記した ものであろう。この様な先人の知恵を無視して、近代の社会ではどんどん開発 を行なっている。仮にこうした地域で災害が起きた時、被害に逢うのはそんな 地名だったことすら知らず、新しい「××が丘」のような耳あたりの良い名前 しか知らない人達だと思うと、なんともやるせない。
伊藤和明さんの講演の時にも同じような趣旨の話があり、地形に逆らわずに作っ た旧道では土砂崩れの被害は無いのに、新しく作った道路で被害があったとい う例が紹介された。このように、土砂災害の多くは近年の迂闊な開発による人 災と考えても良いだろう。
ではこのような災害を減らすにはどうしたら良いか。「開発をしない」という のは容易に思いつくが、現実的ではない。この国の経済の体制が、土木開発に 大きく依存しているために、開発をやめると国の経済が崩壊してしまう。講演 の質問の時には開発に依存しない新しい経済システムの可能性についての意見 を伺ったが、これもなかなか難しい課題であることが良く分かった。「蛇抜の 伝説」のような伝承から災害の予測ができるのなら、それを踏まえて対策を取っ た上での開発をする必要があるのではないか。注意すべきなのは災害は開発地 域の近傍に留まらないことである。広い範囲への影響を考慮した上で、土木技 術を過信しない開発を行なうべきである。しかし、長期的にはやはり開発に依 存しない経済体制を考えていく必要がある。
中野 優(環境学研究科都市環境学専攻,助手)
今回の講演は、文系の先生によるものということで、理系の勉強をしている 僕にとっては、新鮮に感じられる内容であった。
今年は災害が非常に多く発生した年であった。講演は、江戸時代に起きた土 石流のことから始まったが、結局のところ自然の猛威の前では人間はどうする こともできないという点では、これだけ科学が発達した現代でも当時と同じな のだろう。
しかしだからといって災害が発生した場合、ただ手をこまねいて見ているだ けという訳にはいかない。つまり、災害を出来るだけ軽くする努力が必要であ る。もちろんそのような努力は色々行われているのだが、今回の講演ではその ことについて、文系の視点からいくつかの効果的な提案がなされたように思わ れる。何もかも科学の力でなんとかしてしまおうと考えがちな現代の日本人に とって、地域の過去を振り返ってみるということなどは、あまり考えてもみな かったことであろう。
今回の提案を無駄にしてしまっては、あまりにも勿体無いことだと思う。災 害対策を考える時点で、もっと積極的に色々な意見を聞いて、議論すべきだと 思う。そういう意味で、大学には、文系・理系、様々な分野の研究者が集って おり、今後ともこのような議論の場を創造していく必要があると思う。
野田 俊太(弘前大学理工学部地球環境学科,4年生)