第25回 「南海トラフ巨大地震の残された謎」

講師: 安藤 雅孝(名古屋大学大学院環境学研究科・教授)
場所: 環境総合館1階 レクチャーホール
日時: 2006年12月21日(木)17:30-19:00



安藤雅孝先生。

過去最高の128名の参加者がありました。

会場は多くの参加者で一杯となりました。。


セミナーに参加しての感想

南海地震から60年目の日に設定された今回の講演に何はさておき駆けつけた。この地震につい ては当然実体験はないが、母親が当時高知市に在住しており、地震に遭遇し難を逃れたときの様 子など体験談をよく聞かされた。私が現在地震防災にかかわっているのもそのことがなんらか心 の片隅にあったためかもしれない。
現在の仕事の一端として講演・出前講座などをする機会があるが、その中でこの南海トラフで の過去の巨大地震の繰り返し発生の歴史に言及する場合、最近の3回の繰り返しにおいてその発 生様式はそれぞれ異なることを当然ながら強調している。しかしそれはあくまでこの3回の地震 については記録がよく残っていたからそのような話ができるのである。また次もこのうちのどれ かだよと言っているのではなく、発生のパターンにはこのような多様性があることを強調してい るつもりである。でもいったい何が発生メカニズムを決定または拘束する条件となっているので あろうか。それを知るためにもさらに前の地震の発生様式を解明する必要を感じた。しかし、4 つ前の地震である慶長の地震ですら、今回の講演で示されたようにその全貌を知ることは容易な ものではない。ましてやそれ以前のものではさらに困難である。「世界でこれだけ記録が残って いる地域は他にない」といわれているにもかかわらずこの程度であることにもどかしさを感じる が、関係者の努力がいつかは実を結ぶことを信じる。
琉球海溝での巨大地震の検討について、まずはその根本の現象の確認のために海底観測局を設置 するという提案力・行動力に敬服した。机上で理論・モデルを論じるより、まずは実際に現場で 確認してみることが一番納得がいく。まだまだ多くの謎が残る課題の解明に向け、60年以上前 の今村明恒先生の熱意に劣らない熱意で取り組まれている、その成果に期待したい。
西脇誠(名古屋地方気象台)

今日は、安藤先生の十八番の南海トラフ地震のお話だった。十八番と言っても 毎回少しずつ違った味付けがなされていて、いつも楽しませていただいている。
今回は慶長地震の話が中心で、私も初めてうかがったことがいろいろ含まれて いた。慶長地震は津波地震で、海溝軸付近の浅部で起こった地震ではないかと いう仮説を今回は提示されていた。南海トラフで起こる地震の中では慶長地震 が変わった地震であるということは前から聞いていたけれど、明確に他の地震 とのちがいを表現したモデルは、私は今回初めて聞いた。さらに琉球海溝(+ 南海トラフ)で巨大地震が起こる可能性を示され、それを調べるために中国の 過去の記録を調べたり、海底の地殻変動を観測したりすることの重要性を強調 しておられた。これは、安藤先生の研究のアイディアの豊富さを示すものであ る。そして最後に付け加えられた前兆現象の話は安藤先生の考え方の柔軟さを 示すものである。お固い地震学者は、前兆現象としては地殻変動だけを本命と 考え、最近ではどうしても悲観的になってしまいがちなのだが、もっとおおら かに前兆現象をとらえているのが、安藤先生らしいところである。
以上、南海地震60年を記念する日にふさわしい講演であった。
吉田茂生(環境学研究科地球環境科学専攻地球惑星物理学講座・助教授)

安藤は言う。わからないものはわからない、こういう前提でないと言えない。どうもスッキリ しない話だ。世界一流の彼をもってしても、いやだからこそ、地震の話は慎重なのかもしれ ない。しかし、その分、彼の史料解釈はどこまでも大胆だ。私たちは、彼と一緒に、世界中を 旅する。そしてイメージする。干上がった風呂に困惑する旅籠主人、逃げ惑う村人と住職の 使命感、海の底での土砂の蠢き、安定大陸でも津波はやってくる、そもそも金輪際などない んじゃないか、と。
思えば、これは至極まっとうなことだ。管轄区域が違うとか、定時に来ないとか、自然のこと がらを郵便配達のように思って怒り出すのは、むしろ素人の方かもしれない。もしかすると、 達人の頭のなかでは、名古屋と道後と宍喰と、そしてアチェとアリューシャンと南極までと が、また、中世と現在と未来の人たちが繋がっていて、それが何かはいまは言わないが、時 間と空間の境界、いや、そんな境界に愚弄される私たちを嘲笑う。
ハッタリのきいた知識を披瀝することよりも、私たちじしんの想像力を刺激する、そんな講 演はある意味で理想的だと思う。ひとりの家庭人として、また学生を預かる大学教員として私 たちができることは、郵便配達を待って玄関を飾り立てることではなかろう。最低限の科学的 知識はもちろん必要だが、そこから先は私たちじしんの問題だ。地理学者としては、行けた のに、アチェなんて関係ないと二度も断った自分を恥じ入るばかりだ。
高橋誠(環境学研究科社会環境学専攻地理学講座・助教授)