講師: 西澤 泰彦 (名古屋大学大学院環境学研究科・助教授)
場所: 環境総合館1階 レクチャーホール
日時: 2007年1月16日(火)17:30-19:00
65名の参加者がありました。 |
西澤泰彦先生。 |
濃尾地震で耐震建築の何が変ったのかが、わかりやすく解説されました。 |
セミナーに参加しての感想
「【地震・雷・火事・親父】。昔から怖いものを表す言葉として言い伝えられているが、最近の子供たちはこの言葉を知らない。」 西澤先生の講演はこの言葉から始まった。
1891年濃尾地震の際に残された多くの被害写真。未来の我々のために先人が残してくれた貴重な教訓がたくさん詰まっている。これら を客観的な視点から詳細に分析してみると、その教訓が次々と現れてくる。壊れた建物と壊れなかった建物、壊れた地域と壊れなかっ た地域、壊れ方の違う建物、一枚の写真からいろいろな事実が明らかになる。300枚にも及ぶ写真の分析は根気が要り大変ではあるが、 非常に大切な仕事であると思った。だが、これで終わってしまっては、ただ歴史の勉強をしたことと余り変わらない。今を生きる我々 や子供たちが二度と悲惨な震災経験をしなくてすむように、得られた教訓をどのように活かしていけるかが、地震防災の仕事に関わっ ている私にとっての使命であると考えている。
が、100年前に提案されていた木造家屋の耐震補強対策がいつの間にか忘れられ、阪神淡路大震災では歴史を繰り返してしまった。 頭をかち割られるような思いがした。
悲惨な歴史は二度と繰り返さないよう、しっかりと教訓を活かし、地震に強い街づくりのために尽力するとともに、後世にも伝え ていきたい。今日は、初心を再確認する貴重な時間ともなった。我が家の子供たちにも簡単なところから話しをしていきたい。まず は、「【地震・雷・火事・親父】って知ってる?」
護雅史(環境学研究科都市環境学専攻・助教授)
西澤先生は優しい口調で語りかけつつも,建築史家という立場から災害・防災のあり方に対しての厳しい意見を述べられた.講演前半 では濃尾地震の際に撮影された被害状況の写真を並べ,様々な疑問点を並べ立てる.被害記録や統計資料などの文書資料を引き合いに 出し,次々と矛盾点を指摘していく.記録を整理し知識として体系化することは重要であるが,記載される内容は客観的な事実でなけ れば意味がないのである.
一方,濃尾地震を対象とした大学による研究調査は事実と意見を峻別し,知識として体系化された.しかしながら,いつの間にか その知識が生かされることなく,兵庫県南部地震を経験することになる.歴史は繰り返すという表現を使いながらも,悲劇を繰り返 す結果をもたらした日本の耐震化対策に対する厳しい指摘であった.
我々は同じ過ちを繰り返し,体系化された知識を生かさないことを事実として認めたくはない.知りたいという好奇心を満たすた めの研究を進め,社会に還元するシステムを担うのが大学に所属する者としての役割の一つであると再認識させられた.
講演後に,それぞれ自分に何が出来るのかという会話が聞こえてきた.聴講者の意識の高さにも触れられることができた.
なお、講演の中で西澤先生が紹介していた内閣府の報告書は以下の場所で公開されている。
- 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書
仮屋新一(地震火山・防災研究センター,研究支援推進員)