講師: 宇井 忠英 (環境防災総合政策研究機構専務理事/北海道大学名誉教授)
場所: 環境総合館1階 レクチャーホール
日時: 2008年7月18日(金)18:00-19:30
有珠山の火山防災対策の歴史と2000年噴火における具体的な対応についての詳しい解説がなされました。 |
宇井忠英先生。 |
今回の出席者は80名でした。 |
セミナーに参加しての感想
“有珠山は噴火を繰り返している”だけで2000年の噴火対応ができたのではなく、 日頃からの住民・行政・研究者・メディアの連携があり、そこには“人の力”があっ たと学んだ。防災マップ拒絶の時代を乗り越えたのも、噴火時の対応も、それをし たのは“人の力”だと学んだ。
この2000年噴火以降でも、住民は忘れていき、行政職員や教員は移動し、地域や 学校で温度差があるという。それを、また乗り越えていくのも“人の力”であろう。 継続した啓発活動をしていくためには、世代が代わっても継続できるように後輩を 育てることも大切。壮瞥町の子供郷土史講座参加者が、2000年の噴火対策の職員で あった事実は、防災教育の大切さを示している。
ここ中京地区では、広域の地震災害が想定されているが、有珠山のような専門家 が見守る特定地域とは違う。しかし、だからこそ、課題を掘り出し前進していく “人の力”が必要である。
私の地域でも住民の多くが防災・減災について認識できて「防災文化」を構築で きるよう、そして、1つでも多くの命を守れるよう、継続的に地道な啓発活動に取 り組んでいこうと気を引き締めた。
本日は、大変貴重なご講演をありがとうございました。
森下 幸恵(あいち防災リーダー会知多ブロック半田支部)
どのようにして、地域において「防災文化」というものが構築されてきたのか? 講演テーマの中にあった「防災文化」という言葉に特に関心を持って、聴講させて いただきました。今回、宇井先生の講演をきいて、強く思ったのは、「やっぱり防 災って人なんだな。」ということ。以前に、講座を受講していた方の中から、今回 の噴火対策に従事することになる職員が育っていたり、20年以上も続いている啓発 活動があったりと、時間が経過しても、人財の継承がなされていることが、とても 興味深かった。
それと、即断即決がなされたという、現地対策本部。推測になってしまうかもし れないが、そのようなことが可能となった一つの大きな要素として、専門家の方々 による、科学的に裏づけされた的確な情報提供やアドバイス、つまり、ここにも地 域に根ざした人の力というものがあったことが、あげられるのではないだろうか?
「(地味なようだが)世代が変わっても、過去にどのようなことがあったのか知っ ている人、行動できる人を減らさないことです。」私が質問させていただいたこと に対する先生の答えはそのような内容だったと記憶している。
今後この地域に必ず起こる災害は、東海・東南海・南海地震である。いつ起こっ てもいいような対策をとらなければいけない一方で、20年、30年先である可能性も あることを考えれば、息切れしない、持続可能な地域防災のための取り組みや対策 も必要であると思う。
それに向けてどうすればよいか、非常にためになる講演だった。
ありがとうございました。
奥野 真行(三重県総務部人材政策室付/伊勢市総務部危機管理課勤務)
火山に立ち向かうのではなく、火山と共に生きるという思想を強く感じました。 有珠山は火山災害をもたらすと同時に、温泉・湖など、美しい環境や観光資源を与えています。 危険とうまく付き合いながら、その恩恵を受けて生活するためには、 噴火の前兆現象を生かして、日頃からの多方面への啓発活動、 非常時の情報管理を行うことが不可欠であるということがよく分かりました。
私たちが暮らす東海地方では地震災害に対する危機感が高まっています。 私は今まで地震に立ち向かうためにはどうしたらいいか、という考えでいました。 しかし、今回の講義を聞いて、地震災害と共に生きるという考え方をしようと思うようになりました。 地震災害は有珠山の噴火に比べて頻度が小さい場合が多く、 共に生きるという意識を持ちにくいかもしれません。 しかし,子の世代・孫の世代まで視野に入れるならば、地震と共に生きるという姿勢で 様々な対策や啓発活動を行っていくことが必要なのではないかと感じました。
岩城 梨佳(環境学研究科都市環境学専攻 M1)
名古屋に住んでいると、地震防災が話題になることは多い一方で、火山防災に ついて考える機会は少ない。これは、直接的に被害を与えるような火山が近くに ないことが一因であると考えられる。火山防災は、名古屋の一般住民にとって現 実味に欠けるともいえるが、今回の火山防災に焦点をあてた宇井先生のご講演 は、火山防災だけでなく、地震防災を含む防災全体を考えるうえで、基礎的かつ 重要な要素が盛り込まれており、大変貴重なお話だった。
災害による被害を軽減する「減災」のためには、日ごろからの住民・行政・研 究者・メディアの連携を確立しておくことが必要不可欠であることが実例をあげ て説明された。特に、有珠山噴火の直前直後の対策会議の映像からは、その張り 詰めた緊張感が伝わってきた。 この「連携」は、火山防災のみならず、防災・減災の基本であると同時に、し かし、最も実現が困難な要素の一つではないかと思う。たとえば、減災と科学の 関連という意味では、大矢雅彦(1956)の「木曽川下流濃尾平野水害地形分類 図」と1959年の伊勢湾台風の被害分布がよく一致したことがしばしば引用され る。災害の予測が可能であったにもかかわらず、結果的に減災に失敗してしまっ た、「連携」の不備が指摘されてからすでに50年が経過しようとしているわけだ が、今なお、これが未解決の問題となって議論されていることは、その解決の困 難さを示している。
さらに、火山防災のように局地的な防災と、たとえば、想定される東海・東南 海地震に対する広域的な防災とでは、基本的な考え方は共通しても、その具体化 の方法は大きく異なると考えられる。想定される災害の性質を十分吟味し、それ ぞれの災害に対する備えの議論が必要不可欠である。そのためにも、まずはそれ ぞれの想定される災害の性状を慎重に見極める必要があると思う。
石黒 聡士(環境学研究科地理学講座 D3)