室崎益輝先生は地震出火リスク研究・被災地復興物語調査・減災コミュニケーションといった分野を専門とされています。 近年では「路地からのまちづくり」(共著)学芸出版社,2006年や「災害時のヘルスプロモーション」(共著)荘道社,2007年といった著作があります。 経済の制約や時間の制約を乗り越えようということで、災害復興においては十分に計画を練る時間や、被災者の方々の声を聴く機会が設けられることが望ましいと考えておられます。
・防げなくても一人でも助ける・隣近所の大切さや
・従来の手法を変えよう!縦割りをやめよう!
・根拠の無い安心ではなく・確信を持って出来る安心を
・現場の判断の大切さ・法律違反をしてもいいから現場に権限を持たせる(現場を見ないと、現時点で被災地はどうなっているか状況が判らないから)
・行政のマニアルで防災をやるのではなく、地域の人が作りあげていく事の大切さ(地域によって、さまざまに事情が違うはず)
「住まいの作法」「拭き掃除」など、生活から学んだ知恵がお話の中に出て、分かり易く1時間半が瞬く間に過ぎた。
先生のお話の中に「伊勢湾台風?」の時だったと思うが、何度も状況を確かめ的確な判断で早めに避難して、死者が一人も無かった地域があったと聞いた時「稲村の火」が重なりました。
私の住まいは、336世帯が生活している、高齢者が多い住宅です。昨年からだいたい2・3ヶ月ごとに「防災勉強会」を集会所で開いていますが、出席される方は毎回同じ顔ぶれで元気な方々です。
勉強会の成果としては、先生が言われる備えで言えば一括購入で簡易トイレを約3割の100軒近く、アルファ米が50数軒のお宅で準備された事でしょうか。
室崎先生貴重なお話をありがとうございました。
浜辺 文(あいち防災リーダー会)
室崎先生のお話は、いつもわかりやすい上、いつも進める原理というか基本的な考え方をわかりやすく整理した室崎先生の独特のキャッチがあり、それ が聞く人の心に残りいつまでも影響を与えるところがすばらしいと思います。思い起こすと、室崎先生の最初の講演を聴いたのは、36年ぐらい前でまだ私が大 学院生で室崎先生が助手の時でその時は研究の進め方がテーマで研究のやり方を全く変えずに対象だけを変えて進める「銅鉄主義」というのがあるというような ことが話されて、ずっと心に残っています。その次は阪神淡路大震災の直後に私が防災担当となり豊橋で防災講演会を実施したときで、その時は、「避難の三種 の神器」(入れ歯、老眼鏡、女性のズボン)という話しや濃尾地震を契機に設立された震災予防調査会の本をもとに2階にいると死なないとか、火鉢を横に置い て寝る話しなどを阪神淡路の被害と絡めて話されて、その後いろいろなところで使わせてもらいました。
今回の講演でも、「時間の足し算」、「担い手の足し算」、「手だての足し算」というようなお話しや「予防医学的備え」「緊急治療的備え」「回復再生的備え」「公衆衛生的備え」などすごくわかりやすくさらに体系的に説明されて、これも使えると思いました。
また、被害予測などというものはあまり科学性が高くないという話しは、「我が意を得たり」と思って聞きました。火災被害の予測数字などは10倍、10分の1ぐらいの範囲で考えるのが良いというのは本当にそう思います。
関東大震災の時は台風に近い強風が吹いていて、阪神淡路大震災の時には煙が垂直にたなびいていてほとんど風が無い状態でした。 室崎先生は、過去の成果を素直に学ぶことと、自分の頭で考え想像力を働かせて対策を立てること、その対策をきちっと実施すること繰り返し述べられているの だと思います。そこで、先生のキーワードはそれを進める道標の役割を果たしているのだと思います。
川端 寛文(愛知県建設部建築担当局住宅計画課)
名古屋大学環境学研究科の溝口常俊教授により、「鸚鵡籠中記にみる自然災害」と題した講演が行われます。
300年前に、尾張藩士により27年間にわたって毎日記録された日記には、膨大な量の事件が記録されていました。その中から、地震や火災などの災害の記 載を抽出すると、公的な災害の記録である「愛知県災害誌」とは比べものにならないくらいの頻度であったことが分かりました。このように、当時の人々にとっ ては、災害は忘れた頃にやってくるものではなく、むしろ、身近な存在であった可能性を溝口先生は指摘されています。
減災の重要性から、過去の災害における減災の成功例や失敗例が記された古文書を詳細に読み解くことが有効であることについてお話いただきます。